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デジタルカメラ研究マガジン
旧機種デジカメ特集
オリンパス E-10 の巻
あなたはもう忘れたかしら、赤い手拭いマフラーにして♪
名曲「神田川」。

神田川は井の頭公園の源流から隅田川にいたる東京のド真ん中を通り抜ける一級河川のドブ川です。僕が住んでいたころ、そう30年も前の神田川は本当に汚かった。汚物垂れ流しですから魚の住みかとは到底考えられない、一番汚い時代だったかも知れません。それが今に至っては鯉はたくさん泳いでいる綺麗な清水になり、渡り鳥の休憩所でもあり、カモもいたるところで目に留まって泳いでいます。環境にも配慮があって、神田川の両脇には遊歩道、それも桜の並木が大きくなって垂れ下がり、とっても魅力のある川に生まれ変わりました。
かぐや姫の「神田川」は一体どの辺の風景を切り取っていたのだろうか。僕は都電と交差する早稲田から高田馬場にかけて小さいころに住んでいましたから、この名曲「神田川」はこの辺りであろうとずっと信じて、そう思って聴いていました。早稲田大学の学生、川沿いの古いアパート、銭湯が流行った少しゴチャゴチャと密集した町並み。下町と言うよりかは、何処かあか抜けてもいたが古臭さもあった不思議な土地柄は「神田川」そのもののように思っていました。

今回もオリンパスの古き良き名機E−10をお供にぶらぶらと街撮りしてきています。


都電・荒川線を知り尽くしている人ならご存知でしょうが、昔からの撮影ポイントがココ。明治通りと新目白通りが交差し、そこに都電が90度の直角カーブの離れ業をするこの場所では、真っ直ぐに続く線路と都電、そしてサンシャイン60が一度に撮れる構図となっています。ちょうど都電がいるところが「学習院下」駅で、こちらに向かって来て右手に曲がればその先に「面影橋」駅があります。E-10の望遠では35mm換算で140mmとたいした望遠効果も出ませんが、200mm以上のレンズで撮れば圧縮効果で素晴らしい写真が撮れることでしょう。

その交差点のある高戸橋から神田川を覗けば「清流」が勢い良く流れる姿を見ることが出来ます。川底は洗濯板みたいになっていて、水深も浅いから魚の姿も見えるときもあるでしょう。


この風景を見て昔のドブ川なんてイメージは吹き飛んでしまうことでしょう。両脇の樹木はすべて「桜」で、僕が小さいときはちょうど植樹して間際でしたから一本の小さな苗木だったのが、20年以上たつとこんなに河を覆いつくすほどに成長していました。地元のおじさんがいたので昔話をして談笑していたら「桜の季節にはまたおいでよ、綺麗だから」と誘われました。そうか、神田川ってそう言う楽しみのある川になっていたのか、、。


この写真を見ると都会の真ん中なんて思えない、どこか田舎のローカル線かと勘違いしそうですが、ここは「面影橋」駅。ホームなんて言っても都電は駅員がいませんから、自由に出入りできますし、ホームの下は手入れもしていないので雑草の花が可憐にも咲き誇っています。


ちょっと話が前後しますが、この写真の先が面影橋駅。さっきのサンシャインが見えるスポットから線路脇を歩いて来ています。この線路と平行してすぐ横に流れているのが神田川で、桜の木が茂るポイントとなっています。ちなみにこの神田川、今でこそ氾濫しない川になりましたが、昔は毎年のように氾濫し、高田馬場から早稲田に掛けては人の背丈ほどにも達するほどに川の水が周りを水浸しにしていたんです。当然、線路は水没、都電は走行不能。横を走る新目白通りの車が何台も船のように流されて行く様子を僕は眺めてみていました。今だったらカメラもって撮影してたらスクープ映像でしょうね。

「面影橋」については「山吹の里」伝説が残っています。都電の駅のすぐ横に面影橋と言う名の橋が架かってまして、そこを渡るとオリジン電気があります。その入り口の一角に「山吹の里の碑」がひっそりと立っているんです。伝説についてはほとんどの方が一度はどこかで聞いたことのある内容でして、しかしその地がここであると言うのは誰も知らないでしょう。詳しい内容は上の写真をクリックして読んでみてくださいな。大田道灌がここら辺で鷹狩りをしていたんですから、300年前の江戸時代には今では考えられないほどの山野が広がっていたんでしょう。ちなみにこの近辺、坂道の宝庫で学習院下には都内で一番の急勾配を誇る坂もありますし、ここから早稲田通りに抜ける道はすべて急な登り坂道です。とすると昔はこの辺、山であって、大きな樹木がうっそうと茂っていた森だったんでしょう。嗚呼、想像も出来ない、、。

さぁ、今度は早稲田に抜けていくんですが、続きはまた後で。

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